メンクイ

もうずいぶん前にこんなエントリを書いたのだけれど、私はスパゲッティといったらペペロンチーノしか食べない。
http://d.hatena.ne.jp/Chatterton/20070731
それ以外のものが嫌いとか食べられないとかそういうわけでは全くないのだけれど、単純に飽きがこなくて好きなのだ。
むかしむかし、私がまだ学生だった頃。その当時バイトをしていた某公益団体の事務所で、「ペペロンチーノしか食べない」という話を雑談的にしていたら、それまで黙って聴いていた(というより聴いていたのかいないのかすら定かでなかった)ある男性の職員さん(20代後半か30歳ぐらい)が、突然口を開いた。
「一斗くん、僕の大学時代の後輩の女性の話なんだけどね…」
その職員さんとは、私はほとんど話したことがなかった。だから、ちょっと唐突な感じがした。
「…はい?」
すると彼は、こんな内容の話を語りだした。



その後輩の女性は、大学の先輩である男性と交際していた。彼女のほうからその先輩に思いを伝えて、付き合うことになったという。
その先輩はとてもやさしい人だった。彼女を大切にしたし、暴力を振るうことはおろか、声を荒立てたりするようなことさえなかった。電話すればいつも来てくれたし、デートをするときにはいつも彼女の希望が尊重された。ただ、その男性は。
「なぜか、彼女と一緒のときはスパゲッティしか食べない人だったんだ」
他のことはともかく、その先輩の男性はそれだけは譲ろうとしなかった。高級なイタリアンのレストランに行ったときも、小さなトラットリアに行ったときも、なんということのないチェーン店に行ったときも、大学の学生食堂に行ったときも。店は変わっても、彼は決まって「絶対に」スパゲッティしか食べなかった。
ただ、私(一斗)とは違い、彼はスパゲッティしか口にしなかったものの、食べる種類はさまざまだった。ボンゴレ・ビアンコを食べたし、カルボナーラを食べたし、和風たらこスパゲッティを食べた。
その後輩の女性は、いつも不思議に思っていた。なぜスパゲッティしか食べないのかを。しかし、そのことを彼に訊ねても、彼は笑って答えようとしなかった。幸い、彼女はスパゲッティが好きだったので、いつも彼のその希望を受け容れた。
「いつもスパゲッティばかりじゃ栄養が偏ってしまうわよ」
「家ではちゃんとしたものを食べているから平気だよ」
「スパゲッティが大好きなのね?」
「いや、別に大好きっていうわけじゃないな」
「じゃ、なんでいつもスパゲッティしか食べないの?」
しかし、彼はやはりその疑問には答えようとしなかった。
彼女は、彼と2人でいるときにスパゲッティ以外のものが食べられないことにいささか不満だったが、その点を除けば、彼はとてもやさしくいい人だったので、そのことに関してはあきらめることにした。おかげで彼女はどの街に行っても、自然と、スパゲッティが食べられる店を見つけられるようになったし(なにしろ、そういった店でなくては、彼と食事はできないのだ)、店の外観をひと目見ただけでその店の味のよしあしも見抜けるまでになっていた。
彼と付き合い始めて1年ほどが過ぎたある日のことだった。「お腹すいたね」と彼が言い出して食事を取ることになり、いつものように彼女がスパゲッティを食べられる店を探そうとしたそのとき。
「あそこ、行ってみない?」
彼が指さしたのは、何の変哲もないそば屋だった。彼女は、自分の目と耳を疑った。
彼は天ざるそばを、彼女は普通のざるそばを頼んだ。彼女は驚いていた。彼と初めてスパゲッティ以外のものが食べられたことはうれしかったが、なぜ彼が唐突に、今日はそば屋に入ることにしたのか、わからなかった。まずくはないが、特別においしいわけでもない。TVや雑誌で有名な店というわけでもなかった。しかし彼は、いつもとなんら変わる様子はなく、おいしそうに天ざるそばを食べた。彼にその理由を訊ねてみたかったけれど、彼女は訊かなかった。スパゲッティを食べ続けている理由を教えてくれないのと同じように、きっと教えてくれないだろう、と思ったのだ。
「ごちそうさま」
彼も、そして彼女もそばを食べ終えた。彼は店員にそば湯を頼んだ。
そば湯が届き、飲み始めた彼は、唐突に、しかしこともなく言った。
「あのさ。俺たち、別れない?」



「…で、それからどうなったんですか?」
私は訊ねた。その職員さんは言った。
「どうなった、って、この話はここで終わりだよ」
え、オチは? とツッコミたかったが、どうやら本当にこの話はここまでのようだった。
「…はぁ、ずいぶん変わった男性ですねぇ。でもなんだかその彼女もかわいそうなような…」
その話が終わった頃、昼休みになった。事務所では職員さんたちは、家から持参した弁当や、出前で取った料理など、めいめいの昼食を取る。私はいつものように、コンビニで買ってきた弁当を広げた。
「○○さん(その職員さんの名)はどうなさるんですか?」
と訊いたとき、その職員さんが注文した出前の品が届いた。とろろそばのようなものだった。
そのとき、私は気がついた。
そういえばその職員さんが、そば以外のものを口にしているところを見たことがない、ということに。



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