ひじきの話

年末の土曜日の、夕方のこと。近所に買い物に出かけた。いつもの駅前のスーパーマーケットに行こうと思ったら、駅のロータリーの脇で、おばあさんが、ひじきを袋に詰めて売っていた。
以前利用していた駅では、ときどき、ひじきとかあさりとかキムチとか、そういったものを即売していることがあった。しかし、ここへ引っ越してきてから6年目になるが、そういった光景を目にしたのは初めてだった。だから、「へぇ、このへんでもこういう風にひじきとかを売ることってあるんだ」と、ちょっとだけ立ち止まって目を留めた。すると、おばあさんが「おにいさん、ひじきどう?」 とすすめてきた。
「いや、今日は別に・・・」
「おいしいよ。1パック200円」
と言われても私にはそれが高いのか安いのかわからない。
「でも、料理の仕方がわからないし、できないから」
「ひじき、好き?」
「好きは好きだよ。豆とかといっしょに煮たやつ」
「あれ、簡単だから。まず水で戻して・・・」
「いや、料理しないんでわかんないんだってば・・・」
私は抵抗してみたのだが、とはいえこんな寒空の下、あまり売れていなさそうなひじきの山を前に、ぽつねんと座っているおばあさんが少し気の毒になってきたので、なんとなく、1パック買ってしまった。作ったことなんて一度もないけど、レシピをググればどうにかなるだろう。もしダメだったら、実家の母親にくれてやればいい。
「毎度どうもね。ありがとう」
おばあさんはにこにこして、青いビニール袋に詰まったひじきを私に渡してくれた。
やれやれ、と思いながら、本来の目的だったスーパーマーケットに行った。私は、ひじきの煮物って何が入ってたっけ? と思いながら、缶詰コーナーで大豆の水煮缶などを物色していた。すると私の隣に立った女性から話しかけられた。
「買わされちゃいましたね」
ちょっと含み笑いをしたその女性は、私とほぼ同じぐらいの年かさで、赤いロングコートを着て、眼鏡をかけていた。どことなく、井川遥に似ているような気がした。
「え?」
私は初め、なんのことだかわからず、誰か別の人と間違えられているのだと思って、まごついてしまった。
「買わされちゃいましたね、ひじき」
彼女は、私が持っているビニール袋を指さした。
ああ、そういうことか。私は赤面した
「あ、いや、何か変なところを見られてたみたいで・・・」
「断っちゃえばよかったじゃないですか」
「まぁ、そうなんですけどね」
しかし、なんだってこの女性は私に話しかけてきたのだろう? 見たことがあるような気もするが、それは井川遥に似ているからそう感じるのかもしれない。
「作れますか、煮物?」
「やったことないんでわからないです」
彼女はまた笑った。
「じゃあ、なんで買ったの?」
「なんででしょうね」
よくよく考えたらおかしくなってきたので、私も笑った。
「ひじきも断り切れないんだったら、もっと大きいものごとなんて絶対断れないですよ」
「そうか、確かに」
「気をつけなきゃ」
そして、彼女は言った。
「煮物、作り方知ってる?」
「いや、残念ながら」
「作ってあげましょうか?」
「ははは、いいですね。じゃあ今度教えてください」
今、まさにひじきをぶら下げて買い物来てるのに、「今度」もへったくれもない。つまりは「社交辞令」だ。そう思っていた。
が、
「3階の方ですよね?」
「え?」
「ドムスヒルズの。わたし、5階なんです」
同じマンションの住人だったらしい。そうか、だからどこかで見たことがあったんだ。 
「あ。ああ、そうだったんですか」
「ときどき、エレベーターに乗るとき、見かけてましたよ」
「そうなんですね。すいません、覚えてなくて」
彼女は笑った。そして、
「作りに行ってあげましょうか、煮物?」
と言った。
「いや、それはいくらなんでも悪いですよ。うちの部屋、汚いし」
「じゃあ、作ってあげるから、うちに食べに来ます?」
「まさか。それだって悪いし・・・」
「じゃ、作って届けてあげますよ」
「いや、あの・・・」
「遠慮してるんですか?」
「そういう問題じゃなくて・・・」
それから3時間ほど経って、本当にその女性は私の家を訪れた。
「はい、これ」
と彼女は、できあがったばかりのひじきの煮物を、メモ用紙に書いたレシピといっしょに届けてくれた。
「・・・あのー、えー、本当にどうもありがとうございます。これ、大したもんじゃないんですけど」と言って私は、実家からもらって、まだ開けていなかったモロゾフのクッキーの缶を渡した。
「ありがとう」
彼女は素直にそれを受け取ると出て行った。最後に、
「やっぱり、断り切れないんですね。気をつけなくちゃって言ったでしょ。おやすみなさい」
と笑って。
というわけで、その夜の私の食卓には、なぜかひじきの煮物が乗ったのだった。



ひじきの鉄分が多かったのは実は鉄鍋のせい、という話が好き。人気blogランキング