「僕らの物理学」

北杜夫が、旧制松本高校の生徒だった時分の話だ。
物理の試験で手も足も出なかった彼は、答案用紙の裏に次のような詩を書きつけ、59点の点数を獲得している(おそらく60点以上が合格だったのだろう)。

「僕らの物理学」


恋人よ
この世に物理学とか言うものがあることは
海のようにも
空のようにも悲しいことだ


恋人よ
僕はこんなに頭がよいのに
この物理学のおかげでもってあなたから
白痴のように思われてしまった。


あなたがそんなに心配そうに僕の顔をのぞきこむから
僕は昨日死んだつもりになって
生まれてから三十分とつづけたことの無い物理の勉強を
なんと六時間もやったのだ。


僕はこんなに頭がよいし あなたの瞳も元気づけてくれたから
たとへノートが七十八頁あったとしても
参考書が二百四十五頁あったとしても
活字の数が十三萬八千六百五十六あったとしても
もういくら何だってできるつもりでいたのだったが・・・・・ 


恋人よ
僕が物理で満点をとる日こそ
世界の滅亡の日だと思ってくれ
僕らにはクーロンの法則だけあれば沢山だ
二人の愛は距離の二乗に反比例する


恋人よ
僕等はぴったりと抱き合おう!(帝国芸術院賞授賞作品)

むろん最後の「帝国芸術院賞授賞作品」というのは北杜夫の冗談である。
私が、いままで個人的に親しくお付き合いしたことがある女性は、どういうわけか理系の人、ないしは理系にも強い文系の人がほとんどだった。「『テーセキブン』ってなに?」というような、私のごときアホの文系のような人は、なぜだかいなかった。
私が彼女たちに負い目や引け目を感じなかったといえば嘘になる。しかも、そんな彼女たちは私に「一斗くんのほうが、私よりずっとたくさんいろいろなことを知っているのに。なんで気にする必要があるの?」ととどめや追い討ちをかけるのだった。高校時代、物理の試験で14点、微積の試験で0点を取ったことがあるこの私に、だ。
今でも、通勤のときなどに、日能研の中吊り広告で中学入試の算数の問題などを目にする。解いてみようとするが、手も足も出ない。悔しくなって日能研のサイトで解答と解説を見てみるが、ひどいときなど、解説を見ても、なぜその答えになるのか意味がわからない。私は、絶望的な気分になる。
そんなとき、過去に私と親しくしてくれていた女性たちの顔が、ちらりとよぎる。そして心の中で謝罪するのだ。
「ごめんね。いろいろ持ちあげてくれたのはうれしいけど、結局僕は、小学生以下のおつむの持ち主なんだよ」と。
そして、先に引用した北杜夫の詩を思い出すのだ。
しかし、私に鉄槌を下す事実がさらにあった。
北杜夫東北大学医学部卒であるということである。



私がかつて付き合っていた女性の中・高の同級生に、北杜夫のご令嬢がいたそうな。人気blogランキング